Windows用構文解析機Earleyでの文法の実用化:
佐賀・芦刈弁の形容詞・繋辞と動詞の否定
福岡言語学会
2003年4月19日(土曜日)
関西外国語大学 古賀弘毅(こが ひろき)
E-mail:h-koga@kansaigaidai.ac.jp
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この講演では、芦刈弁(佐賀県芦刈町の方言)の文法を、Morgan2001のWindows用構文解析機Earleyに実用化する。同文法を積んだ分析機で、芦刈弁の文を解析しながら、芦刈弁の文を言ったり、解釈したりする。ここでの芦刈弁の文法の生成範囲には、「柿のうまかー」'Persimmons are tasty'、「柿のうもうなかー」'Persimmons are not tasty'、「子どんの柿ば食べん」'Children do not eat persimmons'、「柿のうもうのーなー」'Persimmons become not tasty'などが含まれる。WindowsがOSのコンピュータを持参されれば、文法の構文解析機(parser)における実用化を体験できる。

1.芦刈弁の文と文法
    この講演で分析の対象となる芦刈弁は、講演者の知っているもので、講演者は、0歳から中学1年生まで(1960−1973年に)この方言のみにさらされ、その後は、中学2年生から高校生まで芦刈弁と佐賀市の方言にさらされ、その後は、大学生から卒業後4年間、芦刈弁と東京弁・標準語にさらされた。その後は講演者の家族内では標準語が使われている。このような講演者が、芦刈弁であると信じている方言である。実際に文を聞いたかどうかを思い出しながら、作った文である。
    芦刈弁の文は、1.4で後述する形容詞(「い」形容詞)の文型の違いを除けば、1.1−1.3で述べられるように、標準語の文法と同じで、語彙が異なるだけである。

1.1. 標準語との類似点1:時制
一般的な言語と同様、規則(1)のように、芦刈弁では、文法的な文は時制句である。文(S:時制のついていない文)と時制(TNS)とがこの順序で連なれば、それは時制つきの文である。

(1) TS -> S TNS
時制は、(2a)−(2b)のように、否定の非過去か、あるいは、非否定の非過去であり、非否定の非過去は、(3a)-(3b)のように、/u/か、あるいは、/:/(直前の母音が長音化されることを示す記号)かであり、否定の非過去は、(4a)-(4e)のように、基底が/RANU/で、/ran/と音声的に実現するものと、基底が/ANU/で、/an/か/n/として音声的に実現される。
(2a) TNS -> NON_NEG_TNS
(2b) TNS -> NEG_TNS
(3a) NON_NEG_TNS -> u
(3b) NON_NEG_TNS -> :
(4a) NEG_TNS -> RANU
(4b) RANU -> ran
(4c) NEG_TNS -> ANU
(4d) ANU -> an
(4e) ANU -> n
否定の非過去/ran/;/an/;/n/(=(4a)-(4e))は、標準語の丁寧体における否定の非過去/en/と似ている。標準語の非丁寧体の否定が形容詞/nak/で過去形が/nak-at-ta/であるのに対して、標準語の丁寧体における否定の非過去/en/の文が過去形であれば、/imas-en-de(ar-imas)ita/であるように、芦刈弁でも「食べん」の過去対応文が「食べんやった」と/en-y-at-ta/と「ar」の過去を付け足す。

1.2. 標準語との類似点2:動詞
    芦刈弁は、標準語と同じように、不規則動詞「k」と「s」を除けば、その動詞には、形態上、子音終末動詞基の動詞(たとえば、(5))と母音終末動詞基の動詞(たとえば、(6a)−(9))とがあり、/r/子音終末動詞基の動詞と/e/母音終末動詞基の動詞の場合に音韻規則が語彙の音声実現を変えるほかは同じである。

(5) VT -> kuw
(6a) VI -> OTI
(6b) OTI -> ochi
(7) VI -> ori
(8) VT -> mi
(9) VT -> ki 'wear'
時制の分析と、/r/子音終末動詞基の動詞と/e/母音終末動詞基の動詞以外の場合の分析は、のように正しく文法的に正しい文を予測する。
(10a) kodon no kaki ba kuw u 'Children eat persimmons.'
(10b) kodon no kaki ba kuw an 'Children do not eat persimmons.'
(10c) kaki ba kuw te kunshai 'Please eat persimmons.'
        [音韻規則:kuw-ite -> kuw-te (標準語ではさらにkut-teとなる)]
        [音韻規則:kuda-sai -> kud-sai -> kun-shai]
(11a) kodon no hon ba yom u
(11b) kodon no hon ba yom an
(11c) hon ba yon-de kunshai
        [音韻規則:yom-ite -> yom-te -> yon-te -> yon-de]
(12a) kaki no ochi : 'Persimmons drop.'
(12b) kaki no ochi ran 'Persimmons do not drop.'
(12c) kaki no ochi n 'Persimmons do not drop.'
(12d) ochi-te kunshai
    /r/子音終末動詞基は、(13a)-(16c)のように、最後の/r/が削除されることがあり、たとえば、/or/は、/or/か/o/と音声的に実現すると分析される。
(13a) VI -> OR 'temporally be'
(13b) OR -> or
(13c) OR -> o
(14a) VI -> AR
(14b) AR -> ar
(14c) AR -> a
(15a) VT -> KIR 'cut'
(15b) KIR -> kir
(15c) KIR -> ki
(16a) VT -> TUKUR
(16b) TUKUR -> tukur
(16c) TUKUR -> tuku
時制の分析と、/r/子音終末動詞基の動詞の分析は、以下のように正しく文法的に正しい文を予測する。
(17a) tanisi no hori ni o :
(17b) tanisi no hori ni or an
(17c) ot-te kunshai
        [音韻規則:or-ite -> or-te -> ot-te]
    /e/母音終末動詞基は、(18a)-(21c)のように、たとえば、/tabe/は、/tabe/か/tab/と音声的に実現すると分析される。
(18a) VI -> NE 'sleep'
(18b) NE -> ne
(18c) NE -> n
(19a) VI -> DE 'leave'
(19b) DE -> de
(19c) DE -> d
(20a) VT -> TABE
(20b) TABE -> tabe
(20c) TABE -> tab
(21a) VT -> OBOYE
(21b) OBOYE -> oboye
(21c) OBOYE -> oboy
時制の分析と、/r/子音終末動詞基の動詞の分析は、以下のように正しく文法的に正しい文を予測する。
(22) kodon no n u
(23) kodon no ne n
(24) ne-te kunshai
1.3. 標準語との類似点3:格句と文と動詞句
    格形式がどのような語彙であるかが標準語と異なる他は、芦刈弁の格句と述語がどのように動詞句、文を作るかは、標準語と同じである。芦刈弁でも、文は、(25)のように、主格句と動詞句のこの順序で並んだ列であるか、(26)のように、主格句と自動詞のこの順序で並んだ列であり、動詞句(VP)は、(27)のように、目的格句(ACCP)と他動詞(VT)がこの順序で並んだ列である。
(25) S -> NOMP VP
(26) S -> NOMP VI
(27) VP -> ACCP VT
位置格句(あるいは、与格句)は、(28a)-(28d)のように、文、動詞句、他動詞、自動詞への付加である。
(28a) S -> LOCP S
(28b) VP -> LOCP VP
(28c) VT -> LOCP VT
(28d) VI -> LOCP VI
奪格句と名詞とがこの順序で並んだら、(29)のように、名詞であるという
(29) N -> GENP N
主格、目的格、位置格(=与格)、奪格は、(30a)-(30d)のように、補語として名詞を取る。
 
(30a) NOMP -> N NOM
(30b) ACCP -> N ACC
(30c) LOCP -> N LOC
(30d) GENP -> N GEN
規則(31a)-(31d)のように、主格(nom(inative))の格形式は/no/であり、目的(acc(usative))の格形式は/ba/であり、位置格(与格)(loc(ative))の格形式は/ni/であり、奪格(gen(itive))の格形式は/ga/である。
(31a) NOM -> no
(31b) ACC -> ba
(31c) LOC -> ni
(31d) GEN -> ga
主格句、目的格句、奪格句の分析は、以下のように正しく文法的に正しい文を予測する。
(32) kaki no ochi : 'Persimmons drop.'
(33) kodon no kaki ba kuw u 'Children eat persimmons.'
(34) kodon no kaki no hosik a : 'Children want persimmons.'
(35) kodon no onzisan ga kaki ba kuw u 'Children eat the uncle's persimmons.'
    古典日本語では「ば」が提題であることから、芦刈弁の「ば」も提題であるとの期待が少しあるかもしれないが、実際は、形式/ba/は、(36a)と(36b)の対比によって支持されるように、提題ではない。
(36a) *kaki ba ochi :
(36b) kaki wa ochi :
芦刈弁にも提題「は」がある。

1.4. 標準語との相違点:形容詞+ar 'hold'
    標準語と芦刈弁の文法の大きな違いは述語的形容詞文にある。標準語の文法では、非過去の場合に、「kaki ga umai 'Persimmons are tasty'」のように形容詞のみ、あるいは、時制のある形容詞のみで文が終わることができるのに対して、芦刈弁では、(37)の規則が予測するように、非過去の場合でも、位置格句を補語として取る動詞で、位置格句の代わりに形容詞を取るVLADJ動詞「ar; a」'holds/exists'が必要である。

(37) VP -> ADJ_PRP VLADJ
(38) VLADJ -> AR
(39a) VLADJ -> NAR
(39b) NAR -> nar
(39c) NAR -> na
現在分詞形の形容詞とVLADJ動詞「ar; a」'holds/exists'とが、この順序で、並べば、動詞句(VP)となる。VLADJ動詞には、他に、「nar; na」'become'がある。現在分詞形の形容詞として、yaarasikuがあり、yaarashik; yaarashiuと音声的に実現し、umakuはumak; umauと音声的に実現し、nakuはnak; nauと音声的に実現する。
(40a) ADJ_PRP -> YAARASIKU 'cute'
(40b) YAARASIKU -> yaarashik
(40c) YAARASIKU -> yaarashiu
(41a) ADJ_PRP -> UMAKU
(41b) UMAKU -> umak
(41c) UMAKU -> umau
(42a) ADJ_PRP -> NAKU
(42b) NAKU -> nak
(42c) NAKU -> nau
これは、さらに、時制のある形容詞としないで、「柿がうまい」は実は「主格句+形容詞」で文ではなく、語の羅列で、語用論上、文と解釈されるに過ぎないと考えることもできる。
    主格句、目的格句、奪格句の分析は、以下のように正しく文法的に正しい文を予測する。
(43a) kaki no umak a : 'Persimmons are tasty.'
(43b) kaki no umau a : 'Persimmons are tasty.'
(44a) kaki no umak a : gii, ... '... if persimmons are tasty'
(44b) kaki no umau a : gii, ... '... if persimmons are tasty'
(45a) umak a : kaki (NOUN PHRASE) 'the persimmons that are tasty'
(45b) umau a : kaki (NOUN PHRASE) 'the persimmons that are tasty'
「umaka:」の「a :」の「a」を「動詞」と分析し、「:」を「非過去時制」と分析することにより、(46)-(51)のそれぞれと(52)-(57)のそれぞれとのこの順序における対立を正しく予測できる。
(46) (= (43b)) kaki no umaua : 'Persimmons are tasty.'
(47) kaki no umau wa a : batten, hoka n mon wa kuw an yatta
(48) kaki no umak ar ou
(49) kaki no umak at ta
(50) kaki no umak at te mo, ..
(51) kaki no umau nak a :

(52) ki no hori ni a :
(53) ki no hori ni wa a :
(54) ki no hori ni ar ou
(55) ki no hori ni at ta
(56) ki no hori ni at te mo, ...
(57) ki no hori ni nak a :

(53)のように存在動詞「ar;a」の前に提題詞「は」が生起するように、「うまかー」中に提題詞が起きれば、それは、「ar;a」の前に、(47)のように、起こる。(54)のように推量「ou; you」が存在動詞を補語として「あろう」と取るように、「うまかー」の推量形は、(48)のように「うまかろう」である。(55)のように過去「ita」(非定形補文標識句「ite」)が存在動詞を補語として「あった」((49)のように「あって」)と取るように、「うまかー」の過去形は(49)のように「うまかった」で((50)のように非定形補文標識句「うまかっても」)ある。(57)のように存在動詞の否定形は「なk−ar」であるように、(51)のように「うもう なかー」である。
    なお、次の規則は、現在分詞形の形容詞と現在分詞の形容詞が並べば、それは現在分詞形の形容詞となるというものである。
(58) ADJ_PRP -> ADJ_PRP ADJ_PRP
    さらに、文法外で、子音の連続、母音の連続がないように音韻が並ぶという音韻規則があると仮定する。

2.Windows用構文解析機Earley
Morgan 2001のEarley Parser Kit [EarleyとLunkからなる]を自分のPCのWindows上で、文法を自分で作って、構文解析機に文法を積んで、語列を分析させることができる。配布したEarley Parser Kitを使って、自分で ashikariben2.txt を分析機に搭載して試してみよう。

3.芦刈弁の文の生成、解釈
次の標準語の文を芦刈弁で言ってみましょう。Earleyがある人は、構文解析機に分析させよう。下線を引いた芦刈弁の文をクリックすると、文法による分析が見られる。

1)(標準語) 柿が落ちる。
        芦刈弁:
         kaki no ochi :
            cf. *kaki ga ochi :
2)(標準語) 柿が落ちない。
        芦刈弁:
         kaki no ochi n
            kaki no ochi ran
3)(標準語) 濠にタニシがいる。
        芦刈弁:
         hori ni tanishi no o :
            tanishi no hori ni o :
            cf. hori ni tanishi no o n
4)(標準語) 子どもがタニシを食べる。
        芦刈弁:
         kodon no tanishi ba tab u
5)(標準語) 子どもがおじさんの柿を食わない。
        芦刈弁:
         kodon no onzisan ga kaki ba kuw an
            cf. kodon ga onzisan no kaki ba kuw an (意味が異なる)
            cf. kodon no onzisan ga kaki ba kuw en
6)(標準語) 子どもがかわいい。
        芦刈弁:
         kodon no yaarashik a :
            kodon no yaarashiu a :
7)(標準語) 子どもがかわいくない。
        芦刈弁:
         kodon no yaarashiu nak a :
8)(標準語) 子どもがかわいくなくなる。
        芦刈弁:
         kodon no yaarashiu nau na :
4.文法の実用化:足し算の文法
問題:数字の「1」と「2」と「57」を使った足し算の文法を作ってみよう。たとえば、「1 + 57」や「1 + 2 + 1 + 1 + 1」は文法的に正しい足し算の数式である。「1 + 2 + 57 +」や「+」は文法的に正しい足し算の式ではない。また、「+ + +」や「57 2 1」も文法的に正しい足し算の数式ではない。これらを正しく予測するように足し算の文法をひらめき、作ろう。

解答:足し算の文法。なお、解答はひとつではない。文法を作った後は、それが問題文に挙げた例を正しく予測できるかどうか試験しよう。

    分析機に実用化した正式の日本語の文法については、Gunji 1987、Gunji & Hashida 1998、Koga 2000などを参照して欲しい。分析機に実用化した正式の英語文法には、Sag 1997、Pollard & Sag 1994 などがある。分析機に実用化した正式のドイツ語文法には、Hinrichs & Nakazawa 1994、Meurers 1997 などがある。これらの文法は、規則の規則、つまり、文法に横たわる原理を探求している文法である。

付録:芦刈弁文法:形容詞文と動詞の否定
参考文献