第1章 科学理論としての文法と、主格の格形式
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1.文法
    文法は科学理論である(Chomsky1965)。

2.科学理論が、科学理論だけが、持つ性質(Popper1968)
    科学理論は現象を予測する。科学理論は文の集合である。理論は以下のようにして演繹的に試験される。理論がある現象を予測するとは、理論内の文から、理論内の文だけから、論理的に、その現象が導き出されるということである。
 

(1)    図1.       理論    →    現象
この図において、’P’と’Q’は真か偽である文だとして、’P→Q’は、「PならばQ」を意味する。
理論が予測した現象と実際の現象が矛盾しないかするかは、科学者の主観的な判断により、決められる。理論が予測した現象と、実際の現象が矛盾しない場合は、その理論は、その実際の現象によっては反証されない。
(2)    図2.       理論    →        現象

                                             =?=

                                           実際の現象
この図において、’P’と’Q’は真か偽である文だとして、’P→Q’は、「PならばQ」を意味する。「PH1=?=PH2」は、科学者がPH1とPH2との間に矛盾がないかどうかを科学者が判断することを示す。

理論が予測した現象と、実際の現象が矛盾する場合は、その理論は、その実際の現象によって、反証される。
(3)    図2.       理論が反証される    ←        予測が偽である              ←          現象

                                                                                                                =/=

                                                                                                              実際の現象
この図において、「PH1=/=PH2」は、PH1とPH2との間に矛盾があると科学者が判断したことを示す。

理論が反証されたら、科学者は、実際の現象を正しく予測することのできる新たな理論の原理を直覚的にひらめき、理論を明示的に記述しなければならない。こうして提示された理論はこのセクションで述べたような演繹的に試験される。

3.文法の演繹的試験
    文法は、科学理論であり、文で表された約束事の集まりである。たとえば、「文(s)→主格句(nomp) 動詞(v)」(文の種類に属する記号があったら、それは、主格句に属する記号と、動詞に属する記号とのこの順番に並ぶ列である)という規則(1)、「主格句(nomp)→名詞(n) 主格(nom)」という規則(2)、「主格(nom)→ga」(主格の種類に属する記号があったら、それは、語「ga」である)という規則(3)、「名詞(n)→ohagi」という規則(4)、「名詞(n)→kodomo」という規則(5)、「動詞(v)→neru」という規則(6)から成る文法がある(Chomsky1965)。

(4)    日本語文法1
        規則1.s -> nomp v
        規則2.nomp -> n nom
        規則3.nom -> ga
        規則4.n -> ohagi
        規則5.n -> kodomo
        規則6.v -> neru
    文法は、科学理論であり、言語についての現象を予測する。文法は、与えられた語列が文であるかどうかを予測する。さらには、文法が、意味論を備えておれば、ある語列が文であると予測されたら、それがどのような意味を持つかを予測する。すぐ直前の段落で与えられた文法(統語論だけしか備えていない文法)が、語列(5)を文と予測するかどうかを計算してみよう。
(5)    kodomo ga neru
この文法は、語列(5)が文であると、以下のように、予測する。この文法は、kodomo を名詞と、規則5によって、分析し、ga を主格と規則3によって分析し、neru を動詞と規則6によって分析する。それぞれは他の何の種類の記号とも分析されない。主格の種類に属する記号と動詞の種類に属する記号の列を何かの種類と分析する規則はない。ここで、名詞の種類の記号と、主格の種類の記号の列は、規則2により、主格句と分析される。主格句の種類の記号の列と、動詞の種類の記号の列とは、規則1により、文と分析される。
(6)                           s, 1
                            /     |
                    nomp, 2       |
                /        |         |
            n, 5        nom,3     v, 6
            |            |           |
        kodomo        ga            neru
これが実際の母国語話者の判断と一致するかどうかは異なったものであり、次のセクションで議論される。
    同文法(統語論だけしか備えていない文法)が、語列(7)を文と予測するかどうかを計算してみよう。
(7)    ga neru kodomo
この文法は、語列(7)が文であるとは、予測しない。この文法は、kodomo を名詞と、規則5によって、分析し、ga を主格と規則3によって分析し、neru を動詞と規則6によって分析する。それぞれは他の何の種類の記号とも分析されない。主格の種類に属する記号と動詞の種類に属する記号の列を何かの種類と分析する規則はない。動詞の種類に属する記号と名詞の種類に属する記号の列を何かの種類と分析する規則はない。よって、同文法は語列(7)をこれ以上分析できず、たとえば、文とは分析しない。
(8)     nom, 3        v, 6        n, 5
            |            |           |
            ga            neru     kodomo
これが実際の母国語話者の判断と一致するかどうかは異なったものであり、次のセクションで議論される。
    なお、この文法は単純すぎて、文と予測された語列がどのような意味を持つかを予測できない。

4.文法の予測するものと、科学者が対照するもの
    文法の予測と科学者が対照する現象は、母国語話者がその語列を文と認めるかどうかという判断である。もし、科学者が提示した文法と母国語話者の脳の中にある文法とが完全に一致していれば、科学理論としての文法が文だと予測した語列を、母国語話者は常に文であると言い、科学理論としての文法が文ではないと予測した語列を、母国語話者は、常に、文ではないと言う。ところが、科学理論としての文法は言語学者の研究により日進月歩しており、けっして、完璧ではない。つまり、科学者が提示した文法と、母国語話者の脳の中にある文法とはけっして一致することがない。つまり、科学者の提示した文法が文と予測しているにもかかわらず、実際には、母国語話者が文と判断しない語列が存在したり、科学者の提示した文法が文ではないと予測しているにもかかわらず、母国語話者が文であると判断する語列が存在する。たとえば、語列(9)については、科学者の提示した文法は文ではないと予測するにもかかわらず、母国語話者は文であると判断しなくもない。

(9)    neru kodomo ga
この文法は、neru を動詞と規則6によって分析し、kodomo を名詞と、規則5によって、分析し、ga を主格と規則3によって分析する。それぞれは他の何の種類の記号とも分析されない。動詞の種類に属する記号と、名詞の種類に属する記号との列を、何かの種類と分析する規則はない。名詞の種類に属する記号と、主格の種類に属する記号との列を何かの種類と分析する規則はない。よって、同文法は語列(9)をこれ以上分析できず、たとえば、文とは分析しない。
(10)     v, 6        n, 5            nom, 3
            |            |           |
           neru     kodomo         ga
ところが、ある母国語話者は語列(9)を、くだけた会話においては、実際にこの語列を使用するので、文であると判断するかもしれない。もしそうだと科学者が判断すれば、語列(9)はこの文法を反証する証拠となる。ある科学者はもっと保守的でこの語列は同文法の反証の証拠とはならないというだろう。なぜなら、確かに、くだけた会話において、それが主節となった文でそれだけがその文をなすのであれば、語列(9)は語列(4)と同じ真偽条件的な意味を持つが、(11)と(12)の対照のように、文であれば生起しうる文脈「のです」の直前で語列(5)は生起しうるにもかかわらず、語列(9)は生起しないからである。
(11)    kodomo ga neru no desu
(12)    *neru kodomo ga no desu
    次に、語列(13)については、科学者の提示した文法は文ではないと予測するにもかかわらず、母国語話者は文であると判断する。
(13)    neru
この文法は、neru を動詞と規則6によって分析する。この語列は他の何の種類の記号とも分析されない。同文法は語列(13)をこれ以上分析できず、たとえば、文とは分析しない。
(14)     v, 6
            |
           neru
ところが、ある母国語話者は語列(9)を、文であると判断する。よって、語列(9)はこの文法を反証する証拠となる。(15)と(16)の対照のように、文であれば生起しうる文脈「のです」の直前で語列(5)が生起するように、語列(9)も生起するからである。
(15)    kodomo ga neru no desu
(16)    neru no desu
このようにして、同文法は語列(13)が文ではないと予測するが、実際には、母国語話者は文であると判断するので、語列(13)は同文法の反証の証拠となる。ここで、科学者は、同文法を捨て、ひらめきを使って原理を見出し、新たな文法を提案しなければならない。語列(13)は、「代名詞省略」と呼ばれる日本語の現象であり、この文法は後に議論する。