第3章 「に」は格形式か、あるいは後置詞か
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1)「に」(=後置詞「へ」と置換可能でないもの)と後置詞「で」の意味的な違い
ここでは、後置詞「で」の意味と、「に」の意味・働きとを、以下のように提案する。

(1)    「で」名詞句は、修飾する動詞が記述する出来事が起こる場所を記述する。
(2)    「に」名詞句は、aか、bか、どちらか一方の意味で、使われる(暫定的):
a. 「に」句が修飾する述語(動詞の意味)に目的語の項がある場合:「に」名詞句は、修飾する動詞の記述する出来事において、その目的語が記述するものが存在する場所を記述する。
b. 「に」句が修飾する述語(動詞の意味)に目的語の項がない場合:「に」名詞句は、修飾する動詞の記述する出来事において、主語が記述するものが存在する場所を記述する。
「から」や「で」のように、後置詞は、出来事の性質を記述する。(つまり、出来事の部分である主語や目的語の性質は記述しない)。一方、「に」は、格形式である「が」や「を」のように、主語か目的語かの性質を記述する。しかし、それと同時に、「に」は、格形式の「が」や「を」と違って、主語や目的語だけを直接記述しないで、その存在場所を記述するという意味で、後置詞的な性質を持つ。
    なお、後置詞「で」の意味を記述するには、動詞が、(1)のように出来事を暗示的に記述すると考えなければならないということに注意しよう。たとえば、文「次郎がおはぎを食べる」は、there is some event described by 'eat' such that the SUBJECT role (= agent role) is played by jiro and the OBJECT role (= patient role) is played by ohagi と解釈されると考えることによって、「台所で次郎がおはぎを食べる」は、there is some event described by 'eat' such that the SUBJECT role (= agent role) is played by jiro and the OBJECT role (= patient role) is played by ohagi, and that it (= the event) occurs in the kitchenと解釈されうる。
    また、分析(1)−(2b)から次のことが導かれる。いかなる文も、たとえば、他動詞の文も、自動詞の文も、形容詞+繋辞の文も、名詞+繋辞の文も、出来事を記述するので、上の「で」の分析(分析(1))から、「で」句は、、いかなる動詞・動詞句も修飾できるということになる。分析(2a)と分析(2b)から、「に」句は、動詞のうち、その表す出来事において、主語かあるいは目的語が表すものが存在する場所がなければならないというような意味を持つ動詞(たとえば、「いる」、「置く」)だけしか、修飾しないということになる。
    分析(2a)は、文(3)については、「に」句が修飾している動詞「いる」は目的語を取らないから、部屋は、子どもがいるという出来事において、子どもが存在する場所であり、文(4)についても、同様に、学校は、木があるという出来事において、木が存在する場所であると正しく予測する。
(3) 部屋 子どもが いる。
(4) 学校 木が ある。
分析(2b)は、文(5)については、「に」句が修飾している動詞は目的語を取るから、机は、子どもがおはぎを入れるという出来事において、おはぎが存在する場所であり、文(4)についても、同様に、植物園は、子どもがおはぎをあげるという出来事において、おはぎが存在する場所であると正しく予測する。
(5) 子どもが 机 おはぎを 入れる。
(6) 子どもが 植物園 おはぎを あげる。
分析により予測されるように、たとえば、(5)では、机は、こどもがおはぎを入れるという出来事が起こる場所ではない。分析(1)は、文(7)については、台所は、食べるという出来事が起こる場所であり、けっして、食べるという出来事において、おはぎが存在する場所を表さないと正しく予測する。
(7) 台所 子どもが おはぎを 食べる。
分析(1)は、文(8)については、台所は、ふくれるという出来事が起こる場所であると正しく予測する。
(8) 台所 おはぎが ふくれる。
    文(3)から(8)に関する予測と同様に、文(9a)から文(13b)の意味についても、分析(1)と(2a)と(2b)は正しく予測する。たとえば、文(9a)のように、「に」の付いている名詞「机」は、子どもがおはぎを入れるという出来事において、入れるという述語の目的語の項、つまり、おはぎが存在する場所であり、一方、文(9b)のように、「で」の付いている名詞「机」は、入れるという動詞が記述する出来事の起こる場所である。
(9)      a.    子どもが 机 おはぎを 入れる。
            b.    子どもが 机 おはぎを 入れる。
文(9b)は、目的語のおはぎが存在する場所は机とは限らず、おはぎを、机のフックにかけたかばんに入れるという場合でも、真であるが、一方、文(9a)は、おはぎを、机のフックにかけたかばんに入れるという場合は、真ではない。(10)から(13)についても自分で検証してみよう。
(10)    a.    子どもが 植物園 おはぎを あげる。
            b.    子どもが 植物園 おはぎを あげる。
(11)    a.    その不動産屋は 北海道 土地を 買った。
            b.    その不動産屋は 北海道 土地を 買った。
(12)    a.    ここ 名前を 書いて ください。
            b.    ここ 名前を 書いて ください。
(13)    a.    ブランコが 学校 ある。
            b.    運動会が 学校 ある。
    文(3)から(13)に関する予測と同様に、分析(1)と(2a)と(2b)は、文(14a)と(14b)の意味を正しく予測する。飲み屋街は、文法上、動詞「いる」の述語の主語を記述する猫が存在するところであり、都会は、飲み屋街に猫がいるという出来事の起こる場所である。
(14)    a.    都会 飲み屋街 猫が いる。
            b.    都会は 飲み屋街 猫がいて、驚いた。
    さらに、文(15a)と文(15b)との対照、および、文(16a)と文(16b)との対照は、似ている意味を持つ動詞で、「に」句と共起するのは、その動詞の表す出来事において、その主語か目的語かの記述するものが存在する場所がなければならない動詞である。
(15)    a.    洋子は スーパー 勤める。
            b.    洋子は スーパー 働く。
(16)    a.    洋子は 北海道 住んでいる。
            b.    洋子は 北海道 暮らしている。
勤めるのであれば、勤め先に何らかのポジション(職位)があって、主語を表すものが、その職位に関係する勤めを行う。つまり。「勤める」の意味には、主語の存在する場所が含まれている。一方、働くのであれば、主語を表すものに、働き先に何らかのポジション(職位)がなくてもよい。 つまり、「働く」の意味には主語の存在する場所が含まれていない。住むのであれば、住みかとする場所がある。つまり、「住む」の意味には、主語の存在する場所が含まれている。一方、暮らすのであれば、主語を表すものが存在する場所がなければならないとは限らない。つまり、「暮らす」の意味には、主語の存在する場所が含まれていない。洋子が北海道で定住せず、友だちのところを渡り歩いて、日々暮らしている場合には、文(16a)が偽であるが、文(16b)は真である。

2)「に」が「から」と換えることができる場合
 分析(2a)と(2b)は、文(17a)が文(17b)と真偽条件的に同じ意味を持つことを予測できない。

(17)    a.    太郎が 次郎 本を 借りる。
            b.    太郎が 次郎から 本を 借りる。
分析(2a)と(2b)は、文(17a)では、次郎は、太郎が本を借りるという出来事において、その本が存在する場所であると予測する。だが、実際は、文(17a)が真だとすると、次郎のところには、本は存在しない。(むしろ、本は、太郎のところに存在する)。
    文(17a)が文(17b)と真偽条件的な意味が類似している事実は、外国人の日本語学習者にも理解しがたい。「に」は、たいてい、’to’と英語で翻訳されるところで使われ、(18a)と(18b)が真偽条件的な意味が異なるように、’from’と翻訳される部分には使われないからである。
(18)    a.    太郎が 大阪 来る。
                   'Taro will come to Osaka.'
            b.    太郎が 大阪から 来る。
                   'Taro will come from Osaka.'
    「借りる」((17)の例)の場合と同様に、動詞「受ける聞く教わる習うもらう賜(たまわ)るいただく」の「から」句は、以下のように、「に」句に換えても、真偽条件的な意味に違いがない。
(19)    a.    太郎が 次郎 招きを 受ける。
            b.    太郎が 次郎から 招きを 受ける。
(20)    a.    太郎が 次郎 試験の答えを 聞く。
            b.    太郎が 次郎から 試験の答えを 聞く。
(21)    a.    太郎が 次郎 数学を 教わる。
            b.    太郎が 次郎から 数学を 教わる。
(22)    a.    太郎が 次郎 数学を 習う。
            b.    太郎が 次郎から 数学を 習う。
(23)    a.    太郎が 次郎 ケーキを もらう。
           b.    太郎が 次郎から ケーキを もらう。
    「借りる;受ける;聞く;教わる;習う;もらう;賜る;いただく」((17)、(19)−(23))の場合と同様に、受身動詞「(r)are/orare」のいくつかの場合でも、「から」句は、「に」句と換えても、真偽条件的な意味は変わらない。
(24)    a.    太郎が 花子 好かれている。
                                            suk-are-te    -iru
            b.    太郎が 花子から 好かれている。
                                            suk-are-te    -iru
    文(17)と文(19)−(24)を説明するのに、以下のような分析を加えよう。
(25)    「に」句が、ある特定の受動動詞「借りる」、「受ける」、「聞く」、「教わる」、「習う」、「もらう」、「賜る」、「いただく」などを修飾する場合、「に」名詞句は、修飾する動詞の記述する出来事において、目的語で記述される動作が起こる点、あるいは目的語で記述される動作の結果が生じる点を記述する。
この分析を使って、自分で、文(17)と文(19)−(24)の「に」の意味を見てみよう。分析(25)のように、ある特定の動詞にだけ「に」のこの意味があると分析することによって、(26a)と(26b)との真偽条件的な意味が異なることを説明できる。
(26)    a.    アメリカが 日本 ケーキを 輸入する。
            b.    アメリカが 日本から ケーキを 輸入する。
「もらう」(例(23))のように、「に」名詞句は、もらうの反対動作のあげる人を表すのに、「輸入する」の場合には、「に」名詞句は、輸入するの反対の輸出する人・団体を表せない。

2)「に」が格形式であるか、後置詞であるか
    「に」には、「が」や「を」の場合と似ている現象があったり、あるいは、「から」や「で」と同様の現象があったりする。言語学者の間でも、「に」を格形式とするかどうかについては見解が分かれる。日本語教師にとっては、「に」がの現象について、格形式と後置詞とのどちらの現象に近いかを、第2章第2節で見たように、自分で議論できるようになることが大切である。
    まず、(1)と(2)のすぐ後に述べたように、「に」名詞句(その他、文)は、修飾する動詞の意味(=述語)における項(動詞の主語か目的語か)の性質を特定するという意味で、格形式と同じである。同時に、「に」名詞句(その他、文)は、何かの存在する位置を特定するという点で、後置詞的な性質を持っている。
    次に、第2章第2節で見たように、「に」句のある文を対応する提題文・受身文と比較して、「に」が、主格の格形式の「が」や目的格の格形式の「を」と似た性質を持つか、それとも、後置詞の「から」や「で」と似た性質を持つか見てみよう。動詞が目的語を取らない場合を見てみよう。母語話者は、提題詞「は」が直接「図書館は」と連結している文(28a)よりも、提題詞「は」が「に」句を取る「図書館には」と連結している文(28b)の方が、「に」句のある文(27)と真偽条件上、同じと感じる。

(27) toshokan ni hon ga aru
        'There are books in the library.'
(28)    a.    toshokan wa hon ga aru
            b.    toshokan ni wa hon ga aru
これから、対応する提題文との比較については、修飾する動詞が目的語を取らない場合の「に」は、後置詞「から」や「で」に近いと言える。もし、この現象に関して、「に」が格形式の「が」や「を」と同じだったら、第2章第2節で見たように、語列(28b)は非文であっただろう。だが、実際には、語列(28b)は非文ではない。
    母語話者は、図書館を主語とし、受身形態「(r)are」が連結している文(29a)が、図書館を主語として、主格の格形式「が」が、「図書館にが」と、連結している語列(29b)より、「に」句のある文(27)と真偽条件上、近いと感じる。
(29)     a.   toshokan ga hon ni ar-are-ru
                'There are books in the library, and the library is affected by that.'
             b.    *toshokan ni ga hon ni ar-are-ru
語列(29b)は非文である。だが、「を」句を含む文の対応する受身形の場合(「人々が平家物語を読む」に対して「平家物語が読まれる」)と違い、文(29a)は、図書館に本があることに図書館が何らかの影響を受けるという意味を持っており、「に」は、「を」の場合と完全に同じ現象を持つとは言えない。これから、対応する受身形との比較については、修飾する動詞が目的語を取らない場合の「に」は、格形式に近いと言える。もし、この現象に関して、「に」が後置詞の「から」や「で」と同じだったら、第2章第2節で見たように、語列(29b)は文法的に正しい文であっただろう。だが、実際には、語列(29b)は文法的に正しい文ではないから。
    語列(30)から(35b)についても、自分で議論してみよう。
(30)    太郎が 父 会う
(31)    a.    父 太郎が 会う
            b.    父には 太郎が 会う
(32)    a.    父 太郎に 会われる
                                  aw-are-ru
                'Taro meets Father, and Father is affected by that.'
            b.    *父にが 太郎に 会われる
                                      aw-are-ru
(33)    太郎が 車 乗る
(34)    a.    車 太郎が 乗る
            b.    車には 太郎が 乗る
(35)    a.    車 太郎に 乗られる
                                  nor-are-ru
                'Tare drives the car, and the car is affected by that.'
            b.    *車にが 太郎に 乗られる
                                      nor-are-ru
    動詞が目的語を取る場合を見てみよう。母語話者は、(27)と(28a)と(28b)の場合と同様に、犬を提題として、提題詞「は」が直接、「犬は」と連結している文(37a)よりも、犬を提題として、提題詞「は」が「犬には」と連結している文(37b)が、「に」句のある文(36)と真偽条件上、同じと感じる。
(36) kodomo ga ohagi wo inu ni ataeru
        'A child gives ohagi to a dog.'
(37)    a.    inu wa kodomo ga ohagi wo ataeru
            b.    inu ni wa kodomo ga ohagi wo ataeru
これから、修飾する動詞が目的語を取らない場合の「に」と同様に、対応する提題文との比較については、修飾する動詞が目的語を取る場合の「に」は、後置詞「から」や「で」に近いと言える。もし、この現象に関して、「に」が格形式の「が」や「を」と同じだったら、第2章第2節で見たように、語列(37b)は非文であっただろう。だが、実際には、語列(37b)は非文ではない。
    母語話者は、犬を主語とし、受身形態「(r)are」が連結している文(38a)が、犬を主語として、主格の格形式「が」が、「図書館にが」と、連結している語列(38b)より、「に」句のある文(36)と真偽条件上、近いと感じる。
(38)    a.   inu ga ohagi wo atae-rare-ru
            b.    *inu ni ga ohagi wo atae-rare-ru
ここで、(29a)と(32a)と(35a)は、ある出来事に主語で表されるものが影響を受ける意味があったが、文(38a)にはそれは必ずなければ成らないというわけではないということに注意して欲しい。「を」句を含む文の対応する受身形の場合(「人々が平家物語を読む」に対して「平家物語が読まれる」)と同じ現象を持つ。語列(38b)は非文である。これから、対応する受身形との比較については、目的語を取る動詞の場合の「に」は、格形式と同じと言える。もし、この現象に関して、「に」が後置詞の「から」や「で」と同じだったら、第2章第2節で見たように、語列(38b)は文法的に正しい文であっただろう。だが、実際には、語列(38b)は文法的に正しい文ではないから。
    語列(39)から(44b)についても、自分で議論してみよう。
(39) カーペットを 居間 敷く
(40)    a.    居間 カーペットを 敷く
            b.    居間には カーペットを 敷く
(41)    a.    居間 カーペットを 敷かれる
                                  sik-are-ru
            b.    *居間にが カーペットを 敷かれる
                                      sik-are-ru
(42) 太郎が 花子 電話を かける
(43)    a.    花子 太郎が 電話を かける
            b.    花子には 太郎が 電話を かける
(44)    a.    花子 太郎に 電話を かけられる
                                            kake-rare-ru
            b.    *花子にが 太郎に 電話を かけられる
                                      kake-rare-ru
    第2章第2節で触れたように、その他、数詞プラス分類詞(単位を表す)(「子どもが本を3冊読んだ」中の「3冊」)が主格句か目的格句の数量しか特定しない現象や、「子どもの本の50ページからの読み方はよかった」中の「動詞〔現在分詞〕+かた(方)」句と「子どもが本を50ページから読んだ」との対応など、関連する現象を使って、「に」は格形式に近いか、後置詞に近いか議論してみよう。

3)文法発展3:「に」
    日本語理論、文法2と意味論2とが、「に」句を含む文によって反証されることは、同理論が「に」を単語としてさえ持たないことから、明らかである。このセクションでは、「に」句を含む文(たとえば、文(45)や文(46))と後置詞句を含む文(たとえば、文(47))を正しく文であると予測するような日本語文法を考える。

(45)    heya ni kodomo ga iru
(46)    kodomo ga heya ni ohagi wo oku
(47)    heya de kodomo ga ohagi wo taberu
文(47)の /heya de/ を説明するのに、後置詞句は出来事を記述し、かつ、日本語の後置詞句は、動詞としか共起しない、たとえば、「日本サッカーの試合」は名詞ではなく、「日本でのサッカーの試合」は名詞であると考え、後置詞句と、自動詞か他動詞か動詞句か文とのふたつが、この順で並んだら、その列はさらに、この順で、自動詞か他動詞か動詞句か文かであるという規則(規則4:S -> PP S、規則7:VP -> PP VP、規則9:VI -> PP VI、規則11:VT -> PP VT)を使う。文(45)や文(46)の「に」を説明するのに、「に」句は、後置詞句と同様に、自動詞か他動詞か動詞句か文とのふたつが、この順で並んだら、その列はさらに、この順で、自動詞か他動詞か動詞句か文かであるという規則(規則3:S -> LOCP S、規則6:VP -> LOCP VP、規則8:VI -> LOCP VI、規則10:VT -> LOCP VT)を使う。さらに、「に」を位置格の格形式か後置詞として、LOC→ni、P→deとP→karaのように「から」と「で」を後置詞(postposition)とし、LOCP→N LOC、PP→N Pのように「に」句と後置詞句を作る規則をいれて、日本語理論3、文法3と意味論3を作る。
(48)    日本語理論3
・文法3
initial symbol: S
規則1:S -> NOMP VI
規則2:S -> NOMP VP
規則3:S -> LOCP S
規則4:S -> PP S
規則5:VP -> ACCP VT
規則6:VP -> LOCP VP
規則7:VP -> PP VP
規則8:VI -> LOCP VI
規則9:VI -> PP VI
規則10:VT -> LOCP VT
規則11:VT -> PP VT
規則12:NOMP -> N NOM
規則13:ACCP -> N ACC
規則14:LOCP -> N LOC
規則15:PP -> N P
規則16:VI -> hukureru
規則17:VI -> bakuhatusuru
規則18:VI -> iru
規則19:VI -> aru
規則20:VI -> tutomeru
規則21:VI -> hataraku
規則22:VT -> taberu
規則23:VT -> oku
規則24:VT -> ireru
規則25:VT -> ataeru
規則26:NOM -> ga
規則27:ACC -> wo
規則28:LOC -> ni
規則29:P -> de
規則30:P -> kara
規則31:N -> kodomo
規則32:N -> ohagi
規則33:N -> ga
規則34:N -> heya
規則35:N -> oosaka
・意味論3:
日本語理論3は、文法的には、「に」と「で」は語彙の名称を除けば、まったく同一であり、ふたつの違いは意味においてであるとしている。
    日本語理論3、文法3と意味論3は以下のように正しい予測を産む。日本語理論3は語列(46)(=(49))によって反証されない。
(49)    kodomo ga heya ni ohagi wo oku
日本語理論3は、語列(49)を、たとえば規則6により、樹形図(50)のように文であると予測し、さらに、このように文法的に分析された語列(49)は(51)のような意味を持つと予測する。
(50)
S, 2
NOMP
kodomo ga
VP, 6
LOCP, 14
N
heya
LOC
ni
VP, 5
ACCP
ohagi wo
VT
oku
(51)    {x | child'(x)}という集合の成員の少なくとも一つの個体が、{x | leave'(x)(y), where x is the subject slot of the predicate leave'}という集合の成員であり、かつ、このことが満たされていて、{x | ohagi'(x)}という集合の成員の少なくとも一つの個体が、{y | leave'(x)(y), where y is the object slot of the predicate leave'}という集合の成員である。「置く」という動詞によって記述される出来事において、上記の条件を満たすohagの少なくともひとつが存在する場所は部屋である。
母国語話者も語列(49)を文であると判断し、また、その意味は、日本語理論3によって予測された意味と矛盾しない。よって、この語列によって、日本語理論3は反証されない。
    日本語理論3は、規則1と規則10などにより、語列(47)(=(52))heya de kodomo ga ohagi wo taberu は、(53)のように文であると予測される。
(52)    heya de kodomo ga ohagi wo taberu
(53)
S,4
PP
heya de
S
kodomo ga ohagi wo taberu
さらに、日本語理論3は、(53)のように文法的に分析された語列(52)は(54)のような意味を持つと予測する。
(54)     {x | child'(x)}という集合の成員の少なくとも一つの個体が、{x | eat'(x)(y), where x is the subject slot of the predicate eat'}という集合の成員であり、かつ、このことが満たされていて、{x | ohagi'(x)}という集合の成員の少なくとも一つの個体が、{y | eat'(x)(y), where y is the object slot of the predicate eat'}という集合の成員である。この条件を満たす「食べる」という動詞によって記述される出来事の少なくとも一つが起こる場所は部屋である。
これは、語列(52)が文であるという判断と、語列(52)が持つと母語話者が判断する意味と矛盾しないので、日本語理論3はこの語列によって、反証されない。